岸田文雄と子供と祁奚

 中国の古代、春秋時代。晋という国に祁奚という名士がいた。彼は朝廷で顕職も務めた男だった。

 彼が引退する時、時の君主であった悼公に後任を問われ、彼は自分の子供の名を挙げた。思わず悼公は言う。

「あなたの息子ではないか」

 祁奚はこう答えた。

「公は私の後任に足る者の名を問われたはず、私の息子の名を問われたわけではありますまい」

 続いて別の役職の適任者も問われ、彼は自分の仇敵の名を挙げた。思わず悼公は言う。

「あなたの仇敵ではないか」

 祁奚はこう答えた。

「公はその役に適任の者の名を問われたはず、私の仇敵の名を問われたわけではありますまい」

 

 

 岸田文雄首相が先日息子を首相秘書官にしたらしい。彼が首相になった時は広島の友と喜んだものの、いまや喜べないほどの無為さが知れてしまった。その最中でのこの行動である。容認できぬ人も多かろう。私も別に容認してない。むしろ腹立つ。

 ここで、逆に祁奚の見事さが目立つ。息子とセットで仇敵を挙げたからこそ見事、ということもあるかもしれないが、後ろ指の指されそうなこの状況でこの割り切り具合とこの文句。常人にはできないことであろう。

 だが、この見事さは祁奚本人とその息子が優秀であったからこそ成り立つのである。私はただひとえに、岸田首相の息子の任命理由が祁奚と同じものであることを願うばかりである。