男子の野心はここに在り〜「青雲はるかに」〜

 久々に宮城谷昌光著「青雲はるかに」を読んだ。(中国の)戦国時代の本をよく読んだのは中2〜中3であるから、実に4,5年ぶりか。これほどの年月を経て読み直すと、また所感も違うものである。

 本書は中国の戦国時代の范雎という男の物語である。己の才覚を以って身を立てんとする范雎は遊説の末に仕官した魏斉のもとで些細なことから凌辱される。彼の愛する女性をも手にした魏斉に対して復讐を范雎が志望する、というあらすじである。

 この本、実はとても女性の描写が艶美である。范雎に恋焦がれる原声やその側近の夏鈴、范雎の盟友鄭安平の薄幸な妹の鄭季、月光の下に范雎と出会う南芷など、心根も姿もとても美しく、目に浮かぶような描写力である。ただみんなみんな女性が范雎にひかれていくのはちょっと不満、というかちょっと僻む(笑)。中2の時はその描写の巧みさに惹かれて、男女の交わりなんて官能的で生々しすぎて鼻の下を伸ばして読んでいたが、今読むとそこはあまり気にならなかった。これも私の中では大きな変化である。

 この書を読んで、なにより強く思い出したのは野心であった。この本を読んだ中2の頃、今よりもっと俺はギラギラしていた。主に学力や大学受験について、実力もない癖にひどく大きい野望を抱いていた。良い大学に入って、日本の社稷の臣としていっちょやってやろうと。世界に名を挙げて、竹帛に名を垂れてやろうと。だからあまり当時はそのことが気にならなかった。それが今は、この本を読んでそんな疑念を抱いた。良い大学に入れたものの、入ってまわりの中で埋もれているのではないかと。入ったことに甘んじて、目の前のことで精一杯なのではないかと。范雎が遊説の旅の中で鳴かず飛ばずの時期に盟友たる鄭安平から言われた「小成の積み重ねは大成を生まない、大成の前にあるのは大いなる苦難である」という観念が本書そして范雎を貫徹する理念である。范雎は魏斉に無実の罪で凌辱されて大怪我を負わされた上、町もうかうか歩けなくなるほどの目にあう。そんな中で魏斉への復讐心と原声を妻に迎えるという強い願いを以って野心的に動き始める。時代も場所も違う話だが、山中鹿之介は主家の復興を誓って「我に七難八苦を与えたまえ」と叫んだという。やはり大志を抱く男子は大難をも乗り越えてこそなのであろう。

 やはり本とは良い。何度読んでも所感が変わるから良い。「友や師がいなければ本の人を友や師とせよ」と孟子は言ったが、私の当面の師匠は范雎になるであろう。