はじめに

 世の人もすなるブログというものを、我もしてみむとて、するなり。

 

 最近思うのです。この世は破壊するのは簡単なくせに生み出す・維持するのが難しいものが多すぎる、いや大半である、と。

 この想念にいたったきっかけはゲームの順位が維持できないという些細なものでございますが、それが殊更深まったのは人の死について考えた、特に今年亡くなった著名人を数えてみたからでございます。(2022/10/8現在、勿論ですが全員は挙げられませんが。)

 政治家でいうなら海部俊樹さん、石原慎太郎さん、安倍晋三さんなどが亡くなりました。海外でいえばゴルバチョフさんも今年です。いずれもビッグネームでございまして、特に安倍さんの銃撃事件はショックが大きかったのです。最近までよくテレビで拝見していましたので。

 芸能人でいうなら、藤子A不二雄さん、渡辺裕之さん、ダチョウ倶楽部上島竜兵さん、アントニオ猪木さん(彼も政治家ではありますが一応)、三遊亭円楽さんなど。テレビでよく見ておりました方々なので、もちろんショックも大きゅうございます。特に自殺などであっては、個人的に精神の揺れ動きも大きかったのでございます。

 また、ウクライナとロシアの戦争で多くの人が死に、自動車学校で散々事故の悲惨さを訴えるビデオを見たのも決して小さい影響ではありますまい。

 ここまできて、人の命も又破壊するのは簡単なのに生み出す又は維持するのが難しいものとして例外ではないと感じたのです。私の命もいつ断たれるか分からない。もしかしたら明日車にはねられるかもしれず、明後日飛んできたミサイルで命が絶えるかもしれない。こう考えたのです。

 私が思う人間の本分とは即ち言葉の本分、何かを遺し人に思いを伝えることができることでございます。たとえ明日明後日死んでも運命とあらば仕方ありますまい。人はいずれ死ぬのです。しかし、それでは私がこれまで過ごした人生で思索したことは全て私の脳と共に荼毘に付されるのであります。これでは、私の思う人間の本分を私自身が達成できないことになります。畢竟私はそれだけは避けたいのです。

 私が先に述べた偉人たちと肩を並べるほど優れた思索を行なっているとはつゆとも思いません。ただ、「巨人の上に立つ」科学が如く、どんな些細なことでも後の人に道を啓くかもしれない。そう思ったが故に、私はここに書くのです。この齢十八にして思ったこと考えたこと感じたこと、私が遺したいことを。

 

 もっぱら政治・本・中国古典の話が多くなるかとは思いますが、暇でありましたら是非ご覧くださいませ。(古代の中国思想といいますが私個人は日本を愛する右寄りの自由主義者です)

 

 

 

この文章で遺したかったことは、冒頭の土佐日記のパロディと明治・大正期のような丁寧口調の文章。こんなしょうもないことですが、まあ私はこんな人間でございます。ちなみに文章の出来には割と満足してる。